右手で拳を作り、胸に当てる。呼吸も少し荒くなっているようだ。
寒い中を歩いたからかな?
ならばなぜ、頬は微かに熱いのか。
今まで詫びてくれた事など一度もなかった聡が、謝ってくれた。
本当はずっと、悪いって思っていてくれたのかな。私に怒鳴り散らしてるの、申し訳ないって思っていてくれたのかな。
ならなんで、いっつも怒鳴ってばっかりいるんだろう?
「お前がいると、美鶴がダメになる」
美鶴の為なんだ。
途端、息苦しさに胸が詰る。
金本くん、美鶴の事が好きなんだ。本当に本当に大好きなんだ。
でも、そんなふうに誰かを好きになれる人なら、本当はいい人なのかもしれない。
肩を抱かれた頼もしい優しさ。
もう一度されても、今度はきっと、怖くは無い。
本当に?
問いかける自分に、里奈は答える。
わからない。
なら、もう一度試してみたら?
誰かがクスクスと笑う。
もう一度、あの子に肩を抱かれてみればいい。
もう一度?
途端に頬が熱くなる。
金本くんに、もう一度あんな事をされちゃうの? 怖いよ。
でもさっき、怖くないって思ったでしょう?
里奈は一人立ち尽くしたまま、困ったように自分と会話する。
言ったけど、でもやっぱり怖いかも。それにさ、いつもいつも金本くんに会えるとは限らないし。
でも、また会えるかもよ。
楽しそうな声。
だってさ、おかしいじゃない。美鶴に会いたくてあちこち出歩いているのに、会えるのは金本くんばっかり。これって、偶然?
偶然、じゃないの?
困惑の中に、なぜだかキュッと不思議な感情が湧く。
偶然じゃ、ないのかな?
クスクスと悪戯っぽい笑い声。
じゃあやっぱり、もう一度試してみるといいよ。
もう一度、もう一度金本くんが私の肩を抱いてくれたら―――
「昨日は、すまなかった」
本当は、いい人なのかもしれない。
甘酸っぱさと胸苦しさと笑いたい気持ちと泣きたい気持ち。いろんなものが混ざり合って、でも里奈は、なぜだか少しだけ、嬉しいと思った。
「いい加減、見苦しくてよ」
向かい合う少女の言葉に、緩はグッと唇を噛む。そんな相手の表情に気分を良くしたらしい。少女の舌が滑らかになる。
「廿楽先輩にどれほど気に入られていたのかはわかりませんけど、今の副会長はもう別の御方ですわ。廿楽先輩の時代は終わりましたのよ」
「そうですわ」
別の少女が同意する。
「過去の栄光に縋って権力を誇示しようなんて、哀れですわね」
「そもそもその権力自体、あなたのモノではないのですけれどもね」
「所詮は平民に毛が生えた程度の人間がエラそうに校内で幅を利かせるという事自体、おかしかったのよ」
最初に口を開いていた少女が、再び会話の中心に戻る。
いや、正確には会話ではない。向かい合う緩が発言する機会など、ほとんど与えられていないに等しい。
何も言わずにただグッと睨み付けてくる相手に顎を上げ、少女は笑った。
「とにかく、今後は私たちの目のつくところで食事などなさらないでくださいませね」
「お断りするわ」
緩が毅然と反論する。だが相手は、そんな態度に冷ややかな笑みを浮かべる。
「あらあら、そんな事が言えまして?」
「同級生へ向かって、自分の隣で昼食を取るななどと申していたのは、どこのどなたでしたでしょうね」
そう言って、カラカラと声をあげては手の甲を口に当てる。
「ご自分の意見をおっしゃる時にはずいぶんと大きな態度でしたわね。有無を言わさぬほどでしたのに、言われると未練たらしく反論なさるなんて、あまり見栄えがよろしくありませんわよ」
「本当ですわ」
他の生徒が同意し、同じように声をあげる。そうして気の済むまで笑った後、にわかに少女は真顔になって瞳を細めた。
「あなたのような人間がいつも視界のどこかにチラついていて、それがずっと目障りだったのよ」
吐き捨てるように緩へ向かって言い放つ。
「副会長が変わって、あなたが生徒会という後ろ盾を失ったのはわかっているのよ。いい加減に諦めなさい」
「そうよ。諦めなさい」
取り巻きが続く。
「これでそもそもの立場に戻っただけよ。これからはもっと慎ましく、自分の立場を弁えて振舞って頂きますわ」
そう言って少女は右腕を伸ばし、緩の左肩をドンッと押した。後ろにヨロける緩。それでもこちらを睨みつけたままの相手に、他の生徒が追随する。
「そうよそうよ」
「だいたい、もともとが生意気過ぎたのよ」
「大した身分でもないクセにエラそうにしちゃって」
次々と肩やら腕やらを押され、遂に緩は校舎の壁に背を打ち付ける。これ以上下がれなくなった相手を見下ろすかのような視線で、中心人物の少女が睨む。
「いつまで黙っているの?」
胸で腕を組む。
「わかりましたの返事くらいできないの?」
「返事もできないなんて、小学生みたい」
「礼儀知らずな」
口々に責められ、緩がキッと目元を吊り上げる。
「断るわ」
途端、少女の瞳が峻烈に光る。
「いい加減にしなさいよねっ!」
押すと言うより叩くと言った方がいい。横に払われるような形で緩は右手を地面についた。見上げる先では剣呑な少女。
「何の権力も後ろ盾も持ち合わせていない人間に、断る権利なんて無いのよっ!」
叫ぶように声を上げ、緩の頭を叩こうと手を上げた時だった。
「やめろっ」
大きくはない。だがはっきりとした、低く鋭い声。全員が振り返る先で、円らな、目にも麗しい瞳が揺らいだ。
「やめるんだ」
秋の風にサラリと揺れる前髪の下から真っ直ぐに見下ろされ、少女たちは息を呑む。
「山脇、先輩」
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